12月11日は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧・沢庵宗彭(たくあん そうほう、1573~1646年)の忌日(旧暦)。🫠
忌日は旧暦で正保2年12月11日、新暦では1646年1月27日となります。諸説ありますが、一般的に大根の漬物である「沢庵漬け(たくあんづけ)」の考案者と言われています。😄
沢庵宗彭が創建した東京都品川区北品川にある東海寺(とうかいじ)では、初めは名も無い漬物だったが、ある時、江戸幕府の3代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ、1623~1651年)が寺院を訪れた際に供したところ、たいそう気に入り、「名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし」と言った、と伝えられています。😆
異説として、沢庵和尚の墓の形状が漬物石の形状に似ていたことに由来するという説や、「貯え漬け(たくわえづけ)」が転じたという説、関西で広く親しまれていた漬物を沢庵和尚が江戸に広めたという説などがあります。🤔
なお、東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは非礼であるとして、「沢庵」ではなく「百本」と呼ぶ。「百本漬け(ひゃっぽんづけ)」とは、干した大根100本を漬けた漬物を意味します。🧐
・沢庵宗彭について😃
1573年12月24日(天正元年12月1日)、但馬国出石(たじまのくに いずし、現:兵庫県豊岡市)に生まれます。🙂
1582年(天正10年)10歳の時、出家し、臨済宗の僧・春屋宗園(しゅんおくそうえん)らに師事。1609年(慶長14年)37歳の時、京都にある龍宝山・大徳寺(だいとくじ)の主僧である住持(じゅうじ)となります。💫
1629年(寛永6年)57歳の時、江戸幕府と朝廷の対立事件「紫衣事件(しえじけん)」で出羽国(でわのくに、現:山形県)に流罪となり、その後に赦されて江戸・品川に萬松山・東海寺を開きました。😁
書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残しています。😉
1646年1月27日(正保2年12月11日)、江戸で没します。73歳。著書として、『沢庵和尚法語』や『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』などがあります。🤗
以上、千葉市中央区の就労継続支援B型事業所Workul(ワークル)でした🌟